怒り
世の中には、すぐに怒る人と、そうでない人がいる。
僕は後者で、めったに怒らない人間だと思ってるし、周りからもそう思われているだろう。
何で自分は怒らないのかな?と考えてみると、おそらく
「その物事に興味がない」
「そんな事のためにいらいらしたくない(どうでもいい)」
そう、無関心だから怒らないんだと思う。
怒りやすい人は、何にでも興味があるからすぐ怒るのかと言われれば、分からない。
そんな人もいれば、ただ攻撃的になって、自分の心を安定させていいる人もいるかもしれない。
僕が言いたいのは、すぐ怒る人はよくない、全然怒らない人はよくないって事ではない。
あくまで自己分析と、自己改善を目的にしている。
ということで、結論は、
今までどおり、興味の無いことやどうでもいい事に対して、怒ったりする必要はない。
ただ、自分にとって重要な事はハッキリとしておかないといけない。
怒るべきときに、怒れない人間にならないように!!
野望
いま、自分は会社の事務員をしている。
もちろん!?将来の夢は事務員ではなかったし、今後も事務員を続けていきたいという思いがあるわけではない。
現時点での将来の夢、それは、海外生活を送ることだ。
その夢に向けて、英語を勉強している。
移住先の候補は、①オーストラリア②アメリカ③カナダのどこかだと思っている。
オーストラリアには高校の修学旅行と新婚旅行で2回行ったが、ほかの国には行ったことがないし、いま勉強している洋書も、オーストラリアの成り立ちについての本だ。
そういった意味では、現時点での移住先はオーストラリアが濃厚だろう。
しかし、永住ビザをとれるほど、何か特技があるわけでもないし、親やお世話になった人に恩返しはしていきたいので、海外に永住することはないだろう。
そうすると、必然的に日本に帰ったら(もしくは海外移住するまでに)、何の仕事をしていくかということを考えてしまう。
今の処遇は、はっきり言って、良い。
給料もいいし、ボーナスもでる。残業代もちゃんと払われるし、年休とかの休暇制度も充実している。
ただ残念なことに、事務職に魅力を感じない。
現時点では、海外への転職しか考えていないが、もし、国内で転職するなら、高校教師だろう。
これは、親の希望でもあったし、大学4年のときに教育実習にいって、ある程度の成功体験があったからだと思う。
人に何かを教えることも好きだし、若い生徒達に色々な考え方や選択肢を提案してあげれれば、とても素晴らしいことだと思う。
ただ、教員をするからには、棒高跳の選手も育てたい。
しかし、教員じゃないと、棒高跳の指導はできないのか?
今の職業でも、休日を利用すれば棒高跳の指導はできるんじゃないか?
棒高跳の指導と、今はまっている英語の勉強とサーフィン、どっちをやりたいのか?
ほぼ間違いなく、後者だろうし、実際後者をやっている。
こうやって、今の自分は、やりたいことがいくつかあって、すべてを実現させたいと思っている。
何一つ犠牲を負わずに、実現させたいと思っている。
そして、その手段は分からないし、調べたり本気で考えたりもしていない。
「欲」しかない状態で、まさに絵に描いた餅って感じなんだろう。
でも、自分の中で最優先の目標は明確になっている。
それは、海外に暮らしてみたいということだ。
まずは、英語の勉強を継続して、海外での仕事を見つけること。(仕事が目的ではなく、ビザを取得するため。)
それがダメなら、おそらく日本国内で転職する決断はできないだろうから、今の会社での海外赴任を目指す。
自分の人生で、海外生活を経験することは、必ず実現したいことだし、自分にとっても妻にとっても、近い将来できるであろう子供にとってもプラスになるだろう。
まあ、それも全て今後の自分の行動や意欲次第だと思う。
こんな言いながら、もし、人生の目標が変わっても、自分が決めた目標なら、それでいいと思う。
数年後、自分の人生をどう動かしているのか、今後の自分に期待しよう!!
今日の気づき
今日は、久々に陸上競技場に行って運動してきた。
単純に身体を動かしたかったのと、誰か棒高跳やってたら、(鹿児島には指導者がほとんどいないから)教えたいなあと思ったから。
引退して半年も経たないけど、棒高跳への興味が完全にはなくなっていない。
新たな趣味として、SURFINGを始めたけど、まだ夢中になっていないと感じる。
実際、棒高跳をやっているときも、自分の中の義務感!?みたいなものを感じていたような気がしていたし、
夢中になっている感覚はなかった。
でも、今日陸上競技場に行ってみて、自分の人生の中で、「棒高跳以上に夢中になったものはない」
って事に改めて気が付いた!!
あの時は、なりふり構わず、棒高跳を人生の第一優先にしていたなあ。。。と。
つまり、棒高跳を引退してからの自分の日常は、満たされていないってことだろう。
最近は、海外移住を夢見て、英語の勉強したり、SURFINGやったりしてる。
もちろん、自分がやりたいからやってるし、楽しい。
でも、棒高跳よりは夢中になりきれていない。なりふり構ってる。
夢中になることは難しいし、夢中になれたことがあるだけで幸せなのかもしれない。
でも、過去以下・現状維持では満足できない!!
夢中になるってことは、他の物事が見えなくなったり、興味がなくなってしまい、そればっかりに集中してしまうことだ。
よし、今日は波もないし、今から英語の勉強をしよう。
引退
先週のことになるけど、2011年8月21日 宮崎で開催された九州選手権で棒高跳の選手を辞めた。
振り返ると、中一(1998年)から13年間続けた競技。今までの人生ほぼ半分の期間になる。
はっきり言って、最後のほうはボロボロだった。
気持ちも乗らないことが多くなったし、目標も漠然としていた。
なにより、トレーニングや試合に向けての計画を立てても、まったく計画通りに練習とかを
できなくて、、、日々の練習の意義を疑うこともあった。
でも、最後の試合は目標もはっきりと定めて準備もできたし、家族も友達もたくさん応援に来てくれた。
結果は記録なし。最後に5m31㎝にチャレンジしたいと思っていたけど、4m80㎝を跳べずに終わった。
状態はよかったけど、雨と向かい風の影響で中助走での跳躍になってしまい、少し悔いが残る最後
だったけど、「人生何でも思い通りに行くわけじゃない!!」って最後に檄を飛ばされたような気がする。
なにはともあれ、いつも支えてくれた妻と長いこと競技を続けさせてくれた人たち、そして、長いこと頑張った
自分の身体に感謝したい。
そして、これからは新たな趣味?か何かを探して、新たな楽しみを見つけたい。
Thank You For 今まで支えてくれた全ての人たち!!
個性は悪か
会社生活も早いもので、3年目を迎えました。
丸2年間、社会(ほとんど自分の会社だけだが・・・)に身を置き、感じたこと。それは、「個性は悪か」ということです。
僕の嫌いな言葉の一つに、「普通(常識的に)は・・・だから」という言葉があります。しかし、僕が身を置いている狭い社会の中では、「普通は・・・だから。」「今までは・・・だから。」という枠に当てはめる傾向が強いように感じます。
たしかに、今までの反省を元に、試行錯誤を繰り返してきた歴史(過去)を踏襲することは賢いことだとは思います。しかし、そこに、自分自身の意見は尊重されるのか?歴史(過去)も、当時は非常識だと思われることを行い、過去の反省を生かした新たな常識を作り上げた結果なのではないか?という事を、強く感じてしまいます。
少し唐突なたとえですが、誰もが身に付けていない、ものすごい技術を持った人がいるとします。しかし、その人は他人とコミュニケーションを取ることが極端に苦手で、その技術を人に説明したり、教えてあげることができません。
そういった場合、素晴らしい技術を持っているにも関わらず、「あの人は役立たず。」というレッテルを貼られてしまう可能性があるわけです。
素晴らしい技術を持っているが、コミュニケーションが苦手な人。
技術は何も持っていないが、コミュニケーションが得意な人。
決してどちらが悪いわけでもなく、このような2者がいてもなんら不思議ではありません。しかし、実際の(僕の)周りでは、後者の方が好まれているような気がします。両者が歩み寄る事が、もっとも良いことだということは、おそらく誰もが分かっているにも関わらず、評価に差が付いてしまうのです。
技術とコミュニケーション。もちろんその他にもたくさんの「個性」があり、それぞれに得手不得手があるはずです。
「みんなちがって みんないい。」
もう一度、この詩を読んでみたくなりました。
最後の言葉・・・
決して忘れることはないけど、
改めて残しておきたい言葉、
「まだ起きとるとね。早く寝んしゃい。」
早く寝るようにします。
VS睡魔
昨日の早起き以来、短時間睡眠が続いている。
今日は、1時間+3時間の睡眠だった。2日間で普段の1日分・・・
以外といけるもんだなと実感する。
普段はすぐ眠くなるし、寝たらなかなか起きれなくなる。
そういう性質から、今回の短時間睡眠生活もかなり苦戦する、もしくは、寝まくってしまうんじゃないかという不安があった。
今日は1度寝たら、起こされるまで寝てしまうんじゃないか?と不安感でいっぱいだった。
しかし、強い目的や使命感のようなものがあると、人間変われる事を改めて実感した。
…そして、普段の自分には、『起きないと!』っていう強いが欠けていることが、よく分かりました。
とりあえず今日は、夜に備えて昼寝です。