余裕あるときだけ書く

人はひと、自分はじぶん。いいとこだけ頂きます。

「幸せ」ということ

昨年の秋に、宮城県石巻市に住む友人夫婦を訪ねた。

二人はそれぞれ仕事中に違う場所で被災し、自分には想像できないような経験を沢山していた。

そんな二人を訪ねた理由は二つ、一つは新築のお祝い、もう一つは被災地の状況を直に見ることだった。結果として、行って本当に良かった。被災地としては、まず石巻市の高台から被害のあった地域を見渡せる場所に行き、眼下に広がる草原がかつての住宅地だったことを聞いた。それから、彼らが当時住んでいたアパートや、彼女がアパートから非難したスーパーに行き、当時の生々しい体験を聞いた。(彼女は屋上の駐車場に避難したが、屋上に着いた二~三分後に津波が来て、一階のスーパーは流されたらしい。)その後も、アーチ状の橋を渡るときに、アーチの高い場所にいた人は助かったが、高い位置まで行けなかった沢山の人が津波に流された事や、すぐ近くの町なのに、湾の入り口が極端に狭いために被害が全くなかった町も案内してもらった。

それからは、沢山報道もされてきた女川町を案内してもらった。

最初は、高台にある病院に連れて行ってもらったが、(正確な高さかは記憶が定かではないが)13m程の高台にも関わらず津波の被害にあったのだという。当然、その時にはみんなが「その高台」に避難し、眼下の町を襲う津波を呆然と見ていたらしいが、何と、裏手にある山の谷を越えて、背後の山から津波が襲ってきたらしい。報道から得られる情報しか持っていなかった自分は、津波で流された人は、避難が間に合わなかった人か、十分な高台まで避難しなかった人と思っていたが、完全な認識の誤りだった。十分な高台に避難していたにも関わらず、予想をはるかに超える高さの津波に流された人もいたのだ。(実際にその場に行くと、こんな場所にまで津波が来るなんて夢にも思わないような場所だった。)

他にも、津波の威力で基礎ごと倒されたビルがそのままになっていたり、土地の高さを何mもかさ上げしている工事現場を見たりもした。

それからは、ほぼすべての教師・生徒が流された大川小学校を訪れたりし、報道だけでは分からない、生の現場に足を踏み入れることでしか分からないような、貴重な経験をさせてもらった。

 

これら被災地めぐりも非常に貴重な経験だったが、何よりも彼らから生の体験を聞き、語り合えたことが、自分のこれからの人生にとって極めて貴重な経験だった。

 

幸せとは何か?これは、自分がずっと考え続けてきたテーマだ。

壮絶な経験をしてきた二人にこんな質問をするべきか悩んだが、二人とこれだけ真剣な話をすることもないだろうと思い、腹を割って話した。

自分がそれまで考えていた幸せとは、「夢中になれることがある状態」だった。ひとしきり自分の思いや考えを語った後、二人に聞いてみると、少し考えてから出た答えは「大切な人がそばにいること、生きていること。」だった。実際に二人は別々の場所で震災の被害に合い、五日間くらいは連絡もとれず、お互いの生死も分からない状態を経験している。そんな二人が行ってくれた「幸せ」とは、何とも根本的な幸せだった。今まで自分が考え抜いたと思っていた「幸せ」が、沢山の根本的な「幸せ」を前提としたうえでの考えであったという浅はかさに、恥ずかしい気持ちになった。(もちろん、その根本的な幸せに自分は気づけていなかった。)

 

少し前の話だが、3.11の日を機に思い出したので、書き連ねてみた。

 

報道で得られる情報が全てではない。

百聞は一見にしかず。

他者の気持ちを想像することはできるが、それは想像でしかない。

 

この貴重な経験から得られたものを忘れず、これからの人生を生きていきたいと感じた。