余裕あるときだけ書く

人はひと、自分はじぶん。いいとこだけ頂きます。

正当化

いきなりですが、私陸上競技をやってます。

昨日の練習中にふと頭に浮かんだ言葉が『正当化』でした。


世の中、いろいろな人がいます。多くの人から尊敬される人、そうでない人、天才といわれる人やだらしないと思われる人。人それぞれ、さまざまな特徴があり、人によって、できることとできないことがあると思います。


しかし、この『正当化』という能力は、誰もが身に付けるべき能力であり、誰もが身に付けているのではないかと思いました。


私の直感的な印象でしかありませんが、自分の人生に明確な目的を持っている人は少ないように思います。それでも、人は食事や睡眠、勉強や恋など、さまざまな活動を行っています。


しかし、それらの行動は何の為に行っているのでしょうか?(人それぞれ行動に対する考えがあるはずですので、憶測にしかなりませんが)人生に明確な目的がある人は、その目的を達成するためにでしょうか?明確な目的がない人は、ただなんとなくお腹が減ったら食事をするだけで、その行為をする理由はないのでしょうか?


考えれば考えるほど、分からなくなってしまいます。そもそも、食事や睡眠を取ることに理由が必要なのか?という考えもあるでしょうが、現にそれらの行動に対して、目的がある人とない人がいるはずです。


もし、目的はなくても、行っている行動があるとしたら、それは自分の中での『正当化』を行っているからではないでしょうか。目的を持って行動していても、その行動が正しいのか疑問がある。それでも行う行為も、『正当化』だと思います。


親が赤子を育てる。この行為は、人間のなかではごく普通な行動だと思います。子育てを否定するつもりはさらさらありませんが、生まれたての赤ちゃんに手を貸さない動物もいます。書物などで調べたわけではありませんが、自然の中で生き抜く力を身に付けてもらうためだと思います。


この考えを持ってしまうと、赤子に何でもしてやることは、絶対正しとはいい切れないような気がします。それでも、私も周りの人たちと同様に、子供を授かったらその子を一生懸命手取り足取り育てます。甘やかします。それは、まだ赤ちゃんだから、何もできないから。と自分の中で子育てを正当化するからでしょう。


子育て以外のことも同様に、人は日々正当化を行いながら生きているような気がします。


練習中にこんなことを考えて、私は練習に集中できていなかったのでしょう。

私は、それ(集中できていなかったこと)を正当化することができずにいます。