余裕あるときだけ書く

人はひと、自分はじぶん。いいとこだけ頂きます。

何かしないといけない病

自分は、ヒマが嫌いだ。

正確にいうと、ヒマな時間を持ちたいけれど、耐えきれない。

 

8月22日から1週間夏休みをもらっているが、子供の入院に付き添うということもあり、たっぷり時間はあるはずだった。

 

だけど、読書をしたりAmazon Prime特典の映画を見たり、日焼けして剥げてきた肩の皮を剥いたり、とにかくジッとしなかった。

 

自由に外に行く時間が取れて、広々とした公園でもあれば、外でぼんやりすることもできるが(実際には暑すぎて無理。。。)、病室やホテルでなんとなく時間をやり過ごしたような気がしないでもない。

 

ここぞとばかりに、ゆっくり瞑想の時間をとったり、日々の生活を振り返ったり、一口一口の料理を味わったりすれば良いのに、なかなかそれができない。

 

どうやら自分は、ハタから分かりやすい「行動」をしていないと落ち着かないようだ。

「何もしていない人」と思われたくないのか、はたまた、表面的に何か行動を取ることで、「時間を有効活用した」気になって自己満足に浸ろうとしているのか。

 

こんな中途半端な夏休みを過ごしながら、一方で一人旅では何もしないための旅をしたいと思っている。

 

そうだ!一人旅のテーマは、「何もしようとしない旅」にしよう。

流れに任せて、何かしてしまうだろうけれど、積極的に自分からは何もしない。読書もしようとしないし、ブログや日記も書こうとしない。

SNSも開かないし、ニュースをチェックしようともしない。

 

ただ自然に溶け込んで、ぼんやりと世の中に身を委ねる旅。

こうやって、「何もしようとしない」ことをしようと宣言するあたりが我ながら痛々しいが。

 

とにかく自分の外に対する反応が少ない状態で、1週間くらい過ごしてみたいものだ。

 

息子の手術

2018年8月22日。息子が手術をする。

 

内転筋と、膝裏の腱と、アキレス腱を切る事で、下肢の緊張を和らげる事が目的だ。

この4年間くらい、ずっと下肢の緊張と付き合いながら、一生懸命リハビリを続けてくれた、息子と妻。本当に頭が下がる。

 

それも、一旦は明日の手術が終われば、緊張の少ない状態でリハビリをできるようになり、(もしかしたら)独歩のきっかけをつかめるかもしれない。

 

もちろん、筋と腱を切るので、しばらくは激痛に襲われるだろうし、リハビリも今までとは使う筋の箇所が変わるので、もどかしい思いもするだろう。

 

〜だろう。〜だろう。本当に息子の症状は分からない事ばかりで、心配が尽きないけど、今日の手術が今後の発達に大きな好影響を与える事を願ってやまない。

 

昨日の夜息子と会話をしていて、手術のことを少し説明したら、「脚チョキチョキはイヤ〜。。。」とビビってた。そりゃあ怖いよな。

 

息子には本当に辛い経験をさせていると思うけれど、(未だにワガママが凄いけど)笑顔を絶やさずに明るく日々を送ってくれいている事が嬉しい。

 

しばらく泣き顔を見続けることになるだろうから、今日は息子が笑っている動画でも見て寝ることにしよう。

 

5年前の今日、白内障の手術をしてうまくいった。タイミングも早くやれてよかった。

今日の手術も同じように、数年後に「あの時手術してよかったね。」と言えるようになることを願う。

 

 

おやすみmy sweet family。

入園式

息子が明日から幼稚園に通うことになった。

 

正直、入園式の前夜になっても全く実感が沸いてこない。

 

というのも、息子はいま3歳だけど一人で歩くことができない。はっきりした原因も分かっていない。血液検査からMRIまで色んな検査をしたけど、歩けないこと以外の色々な症状を含めたら「例がないケース」との事だ。

 

幼稚園への入園が決まったのも、つい1か月前(3月)の事だった。快く受け入れてくれた園と、最後まで活動してくれた妻には本当に感謝したい。

 

いままで、平日は朝から晩までずっと妻が育児(+介助)をしてくれていたし、僕が休みの日は、(抱っこか、歩行の補助をしながら)家族3人で出かけるのが定番だった。

 

もちろん、たまには託児所に預けさせて貰ったりしたけど、一時的なものだった。それが、急に幼稚園に入園できるようになった。

 

一人で歩けない分、園にもたくさん協力をしてもらう事になるだろうし、友達との遊び方も工夫が必要かもしれない。座位保持椅子や大きいバギーも作ったけど、周囲の人たちには、凄くお世話になることは避けられないと思う。

 

息子自身も、サポートしてくれる先生や友達の大切さを感じたり、たくさん刺激を吸収してほしい。歩けないと不便な事も多いけど、歩けなくてもできる事をたくさん見つけてほしい。

 

今後のリハビリとか(場合によっては)手術の事を考えると、欲をいえば、友達の動きを見て「みんなと同じように歩きたい」という気持ちを強くもってほしい。

 

入園式前の気持ちを文章にしたら少しは実感が沸いてくるかな~と思ってたけど、やっぱり実感が沸いてこない。入園後に日々感じていくしかないのかな。

 

ただ、周囲や息子に期待するだけじゃなくて、社会性を身に付けたり歩行のためのトレーニングやサポートなど父親として自分がやるべき事も多いので、(仕事の忙しさを理由に)人任せにならないようにしたい。

 

登園前後にリハビリに行ったり、環境が変わって大変な事もあるかもしれないけど、笑顔を忘れずに、毎日楽しく生活してほしい。

 

入園おめでとう。平日は会える時間が少ないかもしれないけど、休みの日に幼稚園での出来事とか、たくさん教えてな!

はじめてのJMOOC受講

前々から気になっていたけど手を出していなかった、オンライン無料講座「JMOOC」を試験的に受講してみたので、感想を綴っておく。

www.jmooc.jp

初めての受講等いうこともあり講座のレベルが分からないが、「社会人のためのデータサイエン入門」という講座を受講登録した。

(ちなみに、私は統計学やデータサイエンスに関して学んだことはなく、無知の状態だ)

lms.gacco.org

基本的にMOOCの講座受講は(対面授業という有料コースを申し込まない限り)無料だが、別途講座のテキスト購入を勧められていることがある。本コースもテキストが用意されており、有償とはいえ1,000円という良心的な価格だったため、迷わず購入。

 

学習を開始しようとすると、まず受講前アンケートの提出を求められた。無償で講座を受講できることを考えると、これくらいの労力(ほんの1分程度で終わる簡単なものだが)は気にならない。

 

次に、補助教材と呼ばれる講座で使用されるスライドのPDFをダウンロード。

 

ようやく、講座の動画視聴のフェーズになった。

 

実は、この記事を書いている段階では、最初の講義動画を視聴しただけであり、注文した教材も届いていない。今の状況で、JMOOCや本講座についてとやかく言える筋合いでないことは百も承知だが、これだけは言える。

「JMOOCって画期的だな。」

データサイエンスという言葉すら聞いたことがないような筆者でも、気になった講座は『無料で』受講できるし、受講してみて途中で辞めても何のペナルティーもない。

必要なのは、学んでみたい講座を探すことと、インターネット環境ぐらいだ。(日々仕事に追われている人にとっては、「時間の確保」が最も必要かもしれないが)

 

いまはJMOOCがどのようなものかを試している状況だが、まずは一講座を受講してみて、本当に『無料で』身になる講座を提供してもらえるのかを検証してみたいと思う。

「幸せ」ということ

昨年の秋に、宮城県石巻市に住む友人夫婦を訪ねた。

二人はそれぞれ仕事中に違う場所で被災し、自分には想像できないような経験を沢山していた。

そんな二人を訪ねた理由は二つ、一つは新築のお祝い、もう一つは被災地の状況を直に見ることだった。結果として、行って本当に良かった。被災地としては、まず石巻市の高台から被害のあった地域を見渡せる場所に行き、眼下に広がる草原がかつての住宅地だったことを聞いた。それから、彼らが当時住んでいたアパートや、彼女がアパートから非難したスーパーに行き、当時の生々しい体験を聞いた。(彼女は屋上の駐車場に避難したが、屋上に着いた二~三分後に津波が来て、一階のスーパーは流されたらしい。)その後も、アーチ状の橋を渡るときに、アーチの高い場所にいた人は助かったが、高い位置まで行けなかった沢山の人が津波に流された事や、すぐ近くの町なのに、湾の入り口が極端に狭いために被害が全くなかった町も案内してもらった。

それからは、沢山報道もされてきた女川町を案内してもらった。

最初は、高台にある病院に連れて行ってもらったが、(正確な高さかは記憶が定かではないが)13m程の高台にも関わらず津波の被害にあったのだという。当然、その時にはみんなが「その高台」に避難し、眼下の町を襲う津波を呆然と見ていたらしいが、何と、裏手にある山の谷を越えて、背後の山から津波が襲ってきたらしい。報道から得られる情報しか持っていなかった自分は、津波で流された人は、避難が間に合わなかった人か、十分な高台まで避難しなかった人と思っていたが、完全な認識の誤りだった。十分な高台に避難していたにも関わらず、予想をはるかに超える高さの津波に流された人もいたのだ。(実際にその場に行くと、こんな場所にまで津波が来るなんて夢にも思わないような場所だった。)

他にも、津波の威力で基礎ごと倒されたビルがそのままになっていたり、土地の高さを何mもかさ上げしている工事現場を見たりもした。

それからは、ほぼすべての教師・生徒が流された大川小学校を訪れたりし、報道だけでは分からない、生の現場に足を踏み入れることでしか分からないような、貴重な経験をさせてもらった。

 

これら被災地めぐりも非常に貴重な経験だったが、何よりも彼らから生の体験を聞き、語り合えたことが、自分のこれからの人生にとって極めて貴重な経験だった。

 

幸せとは何か?これは、自分がずっと考え続けてきたテーマだ。

壮絶な経験をしてきた二人にこんな質問をするべきか悩んだが、二人とこれだけ真剣な話をすることもないだろうと思い、腹を割って話した。

自分がそれまで考えていた幸せとは、「夢中になれることがある状態」だった。ひとしきり自分の思いや考えを語った後、二人に聞いてみると、少し考えてから出た答えは「大切な人がそばにいること、生きていること。」だった。実際に二人は別々の場所で震災の被害に合い、五日間くらいは連絡もとれず、お互いの生死も分からない状態を経験している。そんな二人が行ってくれた「幸せ」とは、何とも根本的な幸せだった。今まで自分が考え抜いたと思っていた「幸せ」が、沢山の根本的な「幸せ」を前提としたうえでの考えであったという浅はかさに、恥ずかしい気持ちになった。(もちろん、その根本的な幸せに自分は気づけていなかった。)

 

少し前の話だが、3.11の日を機に思い出したので、書き連ねてみた。

 

報道で得られる情報が全てではない。

百聞は一見にしかず。

他者の気持ちを想像することはできるが、それは想像でしかない。

 

この貴重な経験から得られたものを忘れず、これからの人生を生きていきたいと感じた。

鈍化

最近、何かについて考え込む時間が極端に減ってきた。

仕事、育児、勉強の時間を少しでも確保するためだ。

おかげで、必要最小限の時間で、最高効率の判断や行動しかしなくなってきている。

結果的に、少しでも横道にそれたことや、面倒くさい事について考え込む事がなくなってきたのだ。

もちろん、思考がシンプルになり、判断が早くなったというメリットも感じている。

だが同時に、このままではいけないとも思っている。

シンプルな思考と、効率化から生まれた時間を、たまには横道にそれた事を考え込む時間にしないといけない!

その場しのぎの、プライベート時間を稼ぐだけじゃなく、考えの幅を広げる事による自身の成長によって、将来の時間的・金銭的余裕を考えていきたい。

遊び心を持てるくらいの、ゆとりを!

プチ単身1日目

昨日までお盆で帰省しとったけど、友達の結婚式があるということで、移動をによる母体への負担を軽減させるために、妻は長崎に残った。

そう、今日からプチ単身状態。

久々の一人暮らしに浮かれたいとこやけど、約5時間の運転で鹿児島に着いたとが19時30分頃。そこから怒濤の家事。。。

宅配便受け取り、晩御飯の準備、皿洗い、洗濯物たたみ、帰省の荷物片付け、湿度の管理、米研ぎ。。。

さっそくバテたー(>_<)

でも、最も心配しとった朝起きは、無事にクリア!!しかも、いつもよりも早起きして弁当も作れた♪

今夜からは勉強もしっかりやって、まったくダラダラしないプチ単身ライフを過ごさんば!!

やっぱ、いつも妻には感謝しとるつもりやったけど、いざ自分で家事からやってみたら、まだまだ感謝が足りんかったって気づかされるわm(_ _)m

今夜の晩飯何にしよう(T_T)??